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千葉地方裁判所 昭和35年(タ)8号 判決 1961年7月14日

判  決

原告

中村清子

右訴訟代理人弁護士

中村作次郎

被告

中村岩蔵

右訴訟代理人弁護士

三谷堅志

右当事者間の、昭和三五年(タ)第八号離婚等請求事件について、当裁判所は、次の通り判決する。

主文

一、原告の請求は全部之を棄却する。

二、訴訟費用は原告の負担とする。

事実

原告訴訟代理人は、「(一)原告と被告とを離婚する。(二)原、被告間の長女喜代美(昭和三一年七月二五日生)、長男清一(昭和三三年三月一九日生)の親権者を原告と定める。被告は、原告に対し、金五〇〇、〇〇〇円及び之に対する本件訴状が被告に送達された日の翌日からその支払済に至るまでの年五分の割合による金員を支払はなければならない。(四)訴訟費用は被告の負担とする。」との判決並に右第三項について仮執行の宣言を求め、その請求の原因として、

一、原、被告は、昭和二九年一一月二一日、結婚の挙式を為して、原告方で同棲し、翌三〇年一月二一日、その届出を了した夫婦で、被告は、原告の氏を称し、昭和三一年七月二五日長女喜代美が、同三三年三月一九日長男清一が出生した。

二、然るところ、被告は生来酒を好み、家を外にして、飲み歩き、為めに、家計などは全く顧みず、その上、酒癖が悪く、酩酊しては、他人と喧嘩口論を為し、果ては、自らもその顔面に傷害を受けたりした為め、家庭内に風波が起る様になり、その結果、原被告間には、殆んど、口論の絶え間がない様な状態となつたのであるが、昭和三三年一二月五日に至り、被告は、些細なことから原告と口論の上、遂に、婚家を立去つて、その実家に立戻り、爾後、原告の許に帰らないままで、現在に至つて居る。

三、而して、原告は、被告がその実家に立戻つて後、再三に亘り、自ら、又は人を介して、被告に対し、原告等妻子の許に帰ることを懇請したのであるが、被告は、之に応せず、而も、その間、原告は二回に亘り、被告を相手方として、千葉家庭裁判所に、夫婦和合の調停と夫婦関係調整の調停の申立を為したのであるが、孰れも、被告の不応諾によつて不調に帰し、被告の翻意復帰を求める原告の努力は、すべて水泡に帰した次第であつて、被告は、原告等の許に復帰する意思などは、全然なく、原告の許を立去つて以来、一回の仕送も為さず、又、原告等の安否を尋ねる様なことも全然せず、全く、原告等を打捨てたままで現在に至つて居るものである。

四、以上の次第であるから、被告は、悪意を以て、原告を遺棄したものである。

仍て、被告との離婚を求める。

五、仮に、被告が、悪意を以て、原告を遺棄したものでないとすれば、以上の事実のあることによつて、原告に於ても、被告と婚姻関係を継続する意思を喪失し、被告に対する愛情も既に全く冷却し去つて居るので、原被告間には、婚姻を継続し難い重大な事由が存在する。

仍て、之を理由として、被告との離婚を求める。

六、尚、原被告間の二児の親権者は、前記の事情があるので、之を原告と定められ度く、併せて、その申立に及ぶ次第である。

七、而して原告は、被告の前記所為によつて、離婚を余儀なくされ、その結果、老父と幼児とを抱へて、独力で生計を維持せざるを得なくなり、自己と家族の将来を思ひ、日々、不安の念にかられて居るのであつて、その精神上の苦痛は甚大であるから、之を慰藉する為め、被告は、原告に対し、慰藉料の支払を為すべき義務がある。その慰藉料の額は、前記諸事情と右事情とのあることによつて、五〇〇、〇〇〇円と算定するのが相当である。

仍て、前記判決と併せて、被告に対し、右慰藉料金五〇〇、〇〇〇円及び之に対する本件訴状が被告に送達された日の翌日からその支払済に至るまでの民法所定の年五分の割合による損害金の支払を命ずる判決を求める。

と述べ、

被告主張の諸事実のあることを争ひ、

立証(省略)

被告訴訟代理人は、主文と同旨の判決を求め、答弁として、

一、原被告が、原告主張の日に婚姻の届出を了した夫婦で、その間に、原告主張の二児のあること、被告が原告の氏を称し、原告家に於て、同棲生活を為して居たこと、及び現在原被告が同棲して居ないことは、之を認める。

二、併しながら、原告主張の離婚原因事実のあることは、全部、之を否認する。

被告は、原告と結婚後原告家に於て、原告及びその父等と共に生活して居たのであるが、原告方の家業は農業であつて、若干の田畑もあり、原告が家族と共に、農業に精励すれば、之によつて、一家の生計を維持し得るに足りると思料されたので、之によつて、一家の生計を立てようと決意し、小作に出してあつた田畑も漸次取戻して、耕作段別をふやし、残存小作地や賃貸宅地の貸借関係の整理なども為して、家業の安定を計つて、農業に精励し、その結果、一家は、円満で、原被告の間に風波の立つ様なことも全くなく、一方、原告の父は、元鉄道員で、農業には全然手を出さず、又、親戚近隣との交際も余り好まず、酒も飲まないと云ふ人物で、被告と必ずしも話の合ふ様な人ではなかつたが、被告は、家庭を円満ならしめる為め、原告の父とも折合が良く行く様に努力すると共に、親戚近隣との交際も努めて、之を行つて、円満な交際を為し、かくて、当初は楽しい家庭生活を送り、原告の父などは、時には、飲めない酒を買つて来て、被告の労をねぎらふと云ふ様な状況であつた。

しかし、原告の父は、右の様な性格の人物であつた為め被告が近隣との交際の為め、時には、酒に酔つて帰宅したりすることがあると、これ等を悪意に解することもあつて、その後は、時々、気まづい思ひをすることがあつたので、被告は、その誤解を解く為め、努力をしたが真意を解して貰ふことが困難であつたことも時にはあつて困却することもあつた。而して、その後はこの様な状況で日を過ごして居たのであるが、昭和三三年三月頃に至り、偶々、被告が友人と小料理店で飲酒した際、友人と他の者との喧嘩の仲才を為して、負傷し、傷を負ふて帰宅するや、原告及びその父は、之に難くせをつけて被告を非難し、或は被告が右小料理店の女中と関係がある様に疑い、爾来円満であつた家庭内の空気は、次第に、悪化し、原被告間の仲も折合が悪くなるに至つた。その後、昭和三三年一二月頃、子供の戸籍のことについて、原告及びその父が理由なく被告を非難したので、被告が怒つて原告を殴打したところ、原告及びその父は、共に、家出を為して、原告の姉の婚家に赴き、二日程して、親戚の訴外中台智に伴われて帰宅したことがあり、その時は、右訴外人の尽力によつて、事はおさまつたのであるが、原告及びその父は、このことを、根に持ち、その結果、家庭内の空気は、当初とは全く一変して、原告及びその父は、被告を出て行けがしに取扱ひ、果は、原告は、被告に向つて、「あなたは原告家の財産を目あてに原告家に来たのだ、出て行けなどと云ふに至つたので、被告も、男の身とて、かく云はれては居たたまれず、同月五日頃、実家に立ち帰つた次第であるが、被告とて、一旦、原告家の一員として、その家族をも養ふ決意で、原告家に入り而も、原告との間に子供まで出来て居るのであるから、原告と離婚する気持などは毛頭なく、その後、間もなく、原告は、千葉家庭裁判所に調停の申立を為したので、之に応じ、飲酒などをつつしむことを約して居たのであるが、原告は、翌三四年五月頃、その申立を取下げ、その後、重ねて、調停の申立を為したのであるが、原告は、自ら、調停を拒否して不調に終らしめた次第である。而して、原被告の間はこの様なことになつた為め、被告は、原告と離婚する意思などは毛頭なかつたものの、自ら、進んで、原告方に戻る訳にも行かず、調停成立を機会に、原告の許に戻らうとしても、原告の拒否によつて、戻るに戻られす、結局、そのまま現在に至つたものである。

斯る次第で、被告としては、何時にても、原告の許に戻り度いのであるが、原告等が之を妨げて居る為め、戻るに戻られないものであつて、原告を遺棄したなどと云ふことは、事実に反するものであつて、被告は、毛頭、原告を遺棄したことなく、又、原被告間には、婚姻を継続し難い重大な事由などはなく、唯原告が被告の復帰を拒否して居るに過ぎないものであり、仮に、その様な事由があつたとしても、その原因は、原告が自ら之を生ぜしめて居るものであるから、原告には、離婚を請求する正当な権利はないものである。

又、右の様な事情のあることによつて、原告が精神上の苦痛を蒙つたことがあるとしても、それは、結局、原告が自ら招いた結果であるから、被告には、慰藉料支払の義務などはない。

と述べ、

立証(省略)

理由

一、原被告が、原告主張の日に婚姻の届出を了した夫婦で、その間に、長女喜代美(昭和三一年七月二五日生)、長男清一(昭和三三年三月一九日生)があることは、公文書である甲第一号証(戸籍謄本)と原被告各本人の供述とによつて、之を認定することができる。

二、而して、被告が、婚姻によつて、原告の氏を称し、原告家に於て、同棲生活を為して居たこと、及び被告が、昭和三三年一二月五日、その実家に立帰り、そのまま、実家に留まつて、原告の許に復帰しないで居ることは、原被告各本人の供述によつて、之を認定することが出来る。

三、而して、被告が実家に立帰り、そのまま実家に留つて、原告の許に復帰しないで居るのは、(証拠)を綜合して、左記事情によるものであることが認められ、又、現在の原被告の夫々の立場及び現在の両者間の関係、並に被告の子供に対する関係等も亦右証拠によつて、左記の通りであることが認められる。

(イ)  原告の父は、酒を飲む人を好まず、又、交際は、無用の出費を要するとなして、之を嫌ひ、近隣及び部落の人々とは殆んど交際せず、その上、頑固である為め、その生活は、右の様な好悪によつて之を律し原告も亦右の様な父の許にあつて、之と同様の傾向を有して居るものであるところ、被告は、之と傾向を異にし、酒をたしなみ、自宅に於て飲酒するばかりでなく、時には、家を空けて、他所で飲酒し、又世間一般の交際は、之を辞せず、従来原告等が為さなかつた近隣及び部落の人々との交際も之を為し、時には交際の為め、酒席に出席飲酒したりすることもあつた為め、前記の様な好悪の下に生活を律して居た原告及びその父は、被告が飲酒や交際に出費することを以て、浪費であるとなして、非難し、その為め、原被告間には、しばしば、そのことについていさかいが生じ、その上、被告が、二、三度、若干の農産物を処分して、それ等の費用に充てたことがあつた為め、原告等は、被告が、原告家の財産を持出して、之を浪費して居るものの様に誤解し、その結果、原告等は、被告が原告家の財産を目あてに原告と結婚したものの様に誤解するに至り、その結果、原告等は被告に不信と不安の念を懐くに至つたものであるが、被告は、家業は怠らず努めて居たので、飲酒の点は非難しては居たが、右の様な点で、直接被告を非難することはななかつたので、家庭内には、若干の冷い空気はあつたものの、特段の風波の立つこともなく推移して居たこと。

(ロ)  然るところ、昭和三三年三月中に至り、偶々原告が、長男清一を分娩し、産褥にあつたとき、被告が、家を空けて、他所で飲食し、深夜、その顔面に傷害を受けて帰宅した為め、原告は、大いに驚くと共に、被告が原告の産褥にあることを奇貨とし、家を明けて、他所を飲み歩いて居ると思いなして、その仕打を怒り、同時に、平素懐ひて居た被告に対する不信と不安の念が一時に発し、被告を恨むと共に之を嫌悪するに至り、之が為め、原被告間の夫婦仲は一時に悪化し、爾来、原告の被告に対する態度は一変し、被告に対して、「こくつぶし」とか「原告家の財産を目あてで結婚した」とか云つて、被告を面罵したりするばかりでなく、被告の身の廻りの世話などは一切之をしない様にななり、又、被告と共には食事もしない様になり、原告の父も之に同調し、果ては、原告もその父も共に被告を出て行けかしに取扱ふ様になつたこと。

(ハ)  一方、被告は、原告等の急激な態度の変化に驚くと共に、その理由を理解することが出来なかつたので、時には、原告等の態度を怒り、原告やその父を一、二度殴打するに至つたことがあり、その結果、更に、原告等と被告との間は悪化し、互に相対立するに至つたこと。

(ニ)  その間、原告家の本家筋に当る訴外中村憲は、右の様な原告等と被告との間の不和を心配し、之を円満ならしめる目的で、被告の怪我の療養と云ふ名目を以て、原告等の了解を得、同年四月頃、被告をその実家に帰す様に取計ひ、被告も、之を了承して、その頃、実家に帰つて療養し、同年五月頃、原告家に戻つたのであるが、その後に於ても、原告等と被告との間の折合は、変化せず、依然、前記の様な状態が継続して居たこと。

(ホ)  その後は、この様にして推移したのであるが、被告は、前記の通り原告等の態度の変化した理由を理解することが出来ず、一方、家庭内は、前記の通りであつて、面白くなかつたので家を空けて他所で飲酒し、酩酊して、帰宅する度数も多くなり、その結果、更に原告等と被告との間柄は、その悪化の度合を増し、之に伴つて、原告等の前記の様な誤解は、一層、その度合を深め、その結果、原告等は、その深まつた誤解に基く被告に対する見解をその親族等に伝へて、密かに、離婚の話合などをする様になつたのであるが、子供もあることにて離婚を決することも出来ず、思ひ余つて、原告等は、昭和三三年一二月初頃に至り、相談の結果、家庭裁判所に夫婦和合の調停申立を為すこととし、その申立準備の為め、戸籍謄本の下附を受けたのであるが、その謄本に長男清一の記載が為されて居らず、この為め、原告の父は被告に対し、「毎日ぶらぶらして居ながら何をして居るのか」と云つて、被告を面罵したので、被告も大いに怒り、口論の末、被告は市役所にその調査に赴いたところ、係の手違ひで、謄本にその記載が脱漏して居たものであることが判明したので、そのことは、それで一応治つたのであるがこのいさかいの為め、被告の気持は、更に、一層硬化して、原告等と更に激しく対立するに至つたこと。

(ヘ)  その様な状態にあつたところ、同月五日、原被告口論の末、原告が日頃の悪罵に一層の度合を深めて、「この身上つぶし野郎、出て行け」などと云つて、被告を面罵したので、被告も激昂し、「何も頭を下げて置いて貰はなくとも良い」と返答し、そのまま実家に立帰つて仕舞つたこと。

(ト)  併し、原告とて、被告とそのまま離婚する意思もなく、やがて気持も静まれば、被告も帰つて来るであろうと思つて居たので、その後、被告を迎へにも行かず、そのまま打ち過ぎ、一方、被告とても、原告と離婚する気持もなかつたので、その後、気持も静まるに従ひ原告家に戻らうとしたのであるが、家庭内が前記の様であつて、出て行けがしに取扱はれ、又、屡々、前記の様に面罵されたこともあり、更に、実家に立帰る際には、前記の様な返答を為した為め、面目上も詫を入れて、若くはそのまま知らぬ顔をして、立戻る訳に行かなかつたので、そのまま、実家に留つて居たのであるが、それでは遂には、原告家に戻れなくなる様に思料されたので、その父兄等と相談の結果、媒酌人を通じて、原告等に対し、復帰方の申入を為したのであるが、原告もその父も之を承諾せず、この為め、媒酌人等も手を引いて仕様つたので、被告は戻る訳にも行かず、そのままに打ち過ぎたこと。

(チ)  一方、原告は、被告が実家に立帰つて、間もなく、千葉家庭裁判所に夫婦和合の調停申立を為し、その後、調停が行はれ、被告が飲酒などを慎むことを条件として、原告の申出に応ずることを承諾したに拘らず、原告やその父は、之を拒否し、その後、原告に於て、その申立を取下げ、その後、更に、原告は、昭和三四年九月中、右裁判所に対し、離婚の調停申立を為したが、その申立には被告が応ぜず、結局、右調停は不調に帰したこと。

(リ)  その後、原被告間には何等の往来もなく媒酌人などは、全く、手を引き、一方、原告の姉訴外清宮清枝や親戚の訴外中台智等は、原告に対し、離婚を勧め原告の父も之に同調したので、原告も遂に、離婚の決意を固め、本件訴を提起するに至つたこと、そして現在に於ては、被告と婚姻を継続する意思が無くなつて居ること。

(ヌ)  一方、被告は、前記の通り、原告の許に復帰する意思を有して居るのであるが、媒酌人等が原告等の拒否にあつて手を引いた結果、戻るに戻られず、現在に至つて居ること、そして、現在に於ても、原告と離婚する意思は之を有して居ないこと。

(ル)  尚、被告は、俗に云ふ婿であつて、原告家には若干の財産もあり、子供の養育には事欠くこともないので、子供の養育については不安を感ぜず、その為め、子供の養育に必要な仕送りなどはせずして現在に至つて居ること。そして、子供に対しては愛情を有し、その将来については、被告に於て、その責任を負ふ覚悟で居ること。

(中略)他に、右認定を動かすに足りる証拠はない。

四、右認定の事実によつて、之を観ると、原被告が不仲になつたのは、被告に若干の落度があり、原告がそれを重大な不行跡の様に誤解してその態度を一変し、一方、被告は、原告の態度の変化した理由が理解出来なかつたので、原告の被告に対する態度が一変するにつれて、被告の原告に対する態度も亦自ら変化し、之に伴つて、被告と原告の父との間の関係も一変し、これ等が因となり果となつて、相重つた結果によるものであると解せられるのであるが、その出発点となつた被告の落度は、原告等が誤解するに至つた様な重大な不行跡ではなかつたものと認められるので、その原因の大半は、原告等の主観的な好悪に基く誤解にあつたものと認めるのが相当であるところ、原告等は、その誤解の結果、遂には、被告を出て行けがしに取扱ふに至り、その為め、俗に云ふ婿である被告は、原告家に居たたまれなくなつて、遂に、実家に立帰つたものと解せられるから、その実家に立帰へるについては、原告を遺棄する意思などは毛頭なかつたものと観るべく、又、実家に立帰つた後に於ても、復帰の意思を有し、媒酌人を通じて、その旨を原告に申入れたに拘らず、原告及びその父に於て、之を拒否したのであるから、被告が原告の許に復帰する意思のなかつたことは認められず、却つて、原告側に於て、その復帰を拒否した結果、被告の復帰の意思の実現が妨げられたものと観るべく、又、被告が、原告や子供等の安否を問はず、子供等の養育費等の仕送などもしなかつたことは原告家には生活には困らぬ程度の財産があり、又、婿の身としての遠慮等からその様なことを為し得なかつた事情のあつたことも被告本人の供述によつて窺はれるので、この点に於ても、遺棄の意思のあつたことは、認められないのであつて、これ等の点から観ると、被告に若干の落度があつたとは云ふものの、それは重大なそれではなく、又、実家に立帰つて、原告等の許に立帰らないとは云ふものの、それは原告等を遺棄する意思の下に、その様な行動に出て居るのではなく、却つて、原告等の拒否にあつて、帰るに帰れない立場に追込まれた結果、復帰し得ない状態に立至り、更に、扶養の点については、実際上の必要がなかつた為め、それをしなかつたものと認めるのが相当であると認められるので、結局、被告の行動は、悪意の遺棄にはならないと解するのが相当であると認められる。

尤も、被告が原告の許に復帰しなかつた為め、原被告は、昭和三三年一二月五日以降同棲生活を為すことが出来ず、従つて、同日以降原被告間に性的交渉のないことは、動かし難い事実であるけれども、それも、結局は、原告が被告の復帰を拒否した結果によるものであると認められるので、この点に於ても、悪意の遺棄は成立しないと解するのが相当であると認められる。

五、以上の次第で、被告が実家に立帰り、そのまま実家に留まつて、原告の許に復帰しないで居るのは、被告に若干の責任があるとしても、その責任の大半は原告側にあると解せざるを得ないばかりでなく、被告には、原告等を遺棄する意思は全然無かつたものと認められるので、被告の右所為は、悪意の遺棄を構成しないものと断ぜざるを得ないものであり、従つて、悪意の遺棄を理由とする原告の離婚の請求は、失当であると云はざるを得ないものである。

六、更に、前記認定の事実によつて、之を観ると、原告は、既に、被告との婚姻関係を継続することを断念して居ると認められるので、原告側から観るときは、原被告間の婚姻関係は、既に、破綻して居るものと云はざるを得ないものであるが、被告は、原告との婚姻関係を断念せず、今なほ、原告の許に復帰することを望んで居ると認められるので、被告側から観るときは、原被告間の婚姻関係は破綻して居るものとは云ひ難く、而して、婚姻関係は、夫と妻との間の一体的関係であるから、夫と妻との間に於て、婚姻関係の維持について、右の線に分裂して居るときは、夫婦関係は、既に、破綻に帰して居るものと云はざるを得ないものであるところ、原被告が、右の様な状態に陥つたのは、被告に若干の落度があつたとは云へ、それは、夫婦間の関係を右の様な状態に陥れた根本の原因であるとは解し難く、却つて、之を原因として生じた原告の誤解がその根本の原因を為して居ると解せられること前記の通りであるから、原告側がこの誤解を正し、被告側がその誤解の原因となつた行動を慎み、相互に相手方の真情を理解すれば、原被告間の関係を破綻せしめて居る根本の原因は除去されると云ふべく、又、証拠調の結果によると、原告は、その性質が我がまま且頑固であつて、それも亦夫婦間の障害となつて居るものと認められるので、原告が之を改めれば、被告も亦その行動を慎む様に解せられ、以上のことはさしたる難事ではなく、互に慎重に行動すれば、為し易きところであり、更に、原告本人尋問の結果によれば、原告は、被告をいみきらつて居るものなどは認められず、離婚の決意もその親族や父などの勧めに従つて、之を固めるに至つたと云ふ節のあることも、証拠調の結果によつて窺はれるので、恐らくは、気持を元に返すことも左程の難事ではないと認められ、それと共に、原告等の非難する被告の飲酒もさしたる程の飲酒でもなく、又、酒癖が悪いと云ふ程の酒癖の所持者でもないことが証入岩井繁蔵の証言によつて認められるのであるから、前示の様にすれば、原被告間の関係の復元は恐らくは困難ではあるまいと解せられるし、更に、原被告間の関係が復元されさえすれば、その親戚も原告の父も被告を従前の様に非難することもないであらうし、尚、原被告間の二子については、被告は、十分なる責任を以て、その養育方を望んで居ることがその本人尋問の結果によつて認められるので、この点に於ても、関係復元は望ましいことであつて、以上の点を綜合すると、原被告間の婚姻関係は、現在の状態に於ては、破綻に帰して居るのであるが、将来に於て、円満なる関係の復元の可能性が十分にあり、而も斯くすることがその子等に取つても望ましいことであると認められるので、結局、原被告間に婚姻を継続し難い重大な事由の存することは、之を認め難いものと解するのが相当であると認められる。

七、以上の次第で、原被告間に婚姻を継続し難い重大な事由のあることは、之を認め得ないことに帰着するので、その様な事由のあることを理由とする離婚の請求も亦失当たることを免れ得ないものである。

八、尚、原告の慰藉料支払の請求は、原告主張の離婚原因のあることを理由とするものであるところ、その様な原因のあることの認め得ないこと右の通りであるから、その請求の失当であることは、多言を要しないところである。

九、仍て、原告の請求は、全部、之を棄却し、訴訟費用の負担について、民事訴訟法第八九条を適用し、主文の通り判決する。

千葉地方裁判所

裁判官 田 中 正 一

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